最近、生成AI疑惑のバンドが話題になっていますね。個人的には創作物にAIを使うことに対してはそれなりに強い忌避感があり、自分も極力使わないようにしています。
ただ、多かれ少なかれAIを使うのが当たり前になる日が近いのも事実です。そんな時代に僕らは何を考えて創作をしたらいいのかということを最近考えていたので、言葉にしてみようと思います。
※例のバンドに関して、自分は明らかに生成AIで作ってるなと思ったので、以下その前提で書いてます。
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個人的に抱いているAIの忌避感・嫌悪感が何に由来するのかを考えた時、大きく二つの要素に分けられるのではないかと思いました。
一つ目は、「嘘をつくことが容易になってしまう」という点です。今回の例でいえば、AIの音楽に人間が当てフリして、「日本人なのに洋楽っぽくてすごい」といった口コミでバズったわけですよね。本人たちは明言してないですが、状況からすると、嘘をついているのと実質同じことだと思います。
これはゴーストライターとか影武者行為と同じで、聞き手からすると騙されたと感じますし、糾弾されるのも当然ですね。
数年前にゴーストライターの問題がありましたね。佐村河内さんは、ゴーストライターを使っていたといえど、曲の構想やイメージを設計図にしていて、『作曲』に近い行為をしていたのではという話もありましたが、あれも結局は、『耳が聞こえないのに作曲した』という核となる要素が嘘だったことが一番の問題だったわけです。今回のバンドの件も構造は同じで、仮にプロンプトをバンドの人間が書いていたとしても、実際演奏をしているような動画を上げて、嘘をついていることが大きな問題になっているんだと思います。
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二つ目は、「AI作品が世に溢れていくことの怖さ」です。抽象的で分かりにくい表現にはなってしまうのですが、「人が作ったものとAIが作ったものの境目が曖昧になってしまう怖さ」ともいえると思います。
例えば少し前AIで作られた気持ちの悪い料理の画像が話題になりましたよね。あれは普通の美的感覚では美味しそうに見えないと思うのですが、AI的には過去の事例から類推した「美味しそうな画像」なわけです。
つまりこのように「人間の脳から自然発生し得ない創作物」が世の中に溢れてしまうと、それによって逆に人間側の認知がダメージを受けるんじゃないかと思うんです。ある程度経験を積んだ人や大人なら、それを見て「なんかおかしい」「気持ち悪い」などと判断できますが、子どもにはその判断はできないかもしれません。次の世代の子供達が、美しいものを美しいと思えなくなってしまったらどうしよう、といったことが心配になってきます。
それと同じことが音楽にも言えます。最近のAIで作られた曲を聞いていると、音が変だったり歌い方がおかしかったり、歌詞とメロディが合っていなかったり、変だと思うところが結構たくさんあります。また曲調がどの曲も似ていて、音楽的な深みを感じません。
普段から音楽をそれなりに聞く人ならその違和感に気づけますが、気づかない人も多いと思います。そういったものが街に溢れてしまうと、AIが作ったものに人間の方が負けてしまうんじゃないかという恐怖があるんですよね。
もし今後、人間が良い音楽を作っても「AIが作った音楽の方が良いよね」という人が大多数になってしまったとしたら、大袈裟ではなく文化の崩壊を意味すると思うんです。
元々AIは人間が作ったものを模倣していたわけですが、最終的にそれからかけ離れ、「AIがAIを模倣する」ような状態になっていくと、連綿と続いてきた芸術の感性がどんどん希釈されていきます。最終的に人間の脳構造に刺激やフィードバックを与えるだけの「何か」になってしまう……そんな危機感が自分の中にはあります。
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これは完全に自分の妄想ですが、今回のバンドも、最初から全部AIを使うつもりではなかったかもしれません。
動画を見る限り、楽器を弾ける人が集まって、バンドを組んだというところは事実っぽいですよね。だとすると、自分たちで演奏もできたけれども、バズろうとする過程のどこかで、全部AIでいってやろうという判断が生まれたんだと思うんですね。例えば最初は曲だけAIに書かせて演奏は自分たちでやる予定だったのを、『生成AIの方がクオリティが高いじゃん』となって、AI製のものをアウトプットしてしまったとか……。
仮にそんなストーリーだったとして、僕としては、それこそが人間とAIの力学が逆転する分岐点だと思うんですね。ある程度AIを使っていたとしても、最終的に人間がチェックして、胸を張って作品として出せたなら、それは人間の作品だと言っていいと思うんです。ですが、AI製の方がクオリティが高いからと言ってそっちに靡いてしまったら、それはもう創作行為の放棄です。
イラストでも音楽でも、AIが作ったものはぱっと見の見栄えがいいです。ですが、見栄えが劣ったとしても、僕は人間が必死になって作ったオリジナルのほうが価値があると思うんですよね。そこでそれっぽい方に流れてしまうと、最初に行った文化の崩壊が始まってしまうのではないかとと思います。
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悲観的なことを述べてきましたが、生成AIが不得意な分野もあります。前にも述べましたが、生成AIは既存のデジタル情報をもとにしながら、新たに「それらしいもの」を作る技術です。その前提の中では、AI出力よりも人間の方が価値あるモノを作れるというのは当然だと思うんですよね。
まずは何よりもオリジナルを作る能力があります。人間の脳は「過去に聞いた安心感のあるもの」を求める心と、「全く新しいもの」を求める心を合わせ持っています。人間の新しい発想でしか刺激できない脳の部位は必ずあるはずなので、そこを刺激するのは人間の役目だとおもいます。
そして、本当にハイクオリティなものを作れるのは人間だと思うんです。生成AIはどんどん進化していますが、細かいところでまだまだ雑だなと思うところがあります。音楽でも、AI製の音楽を聴いて逆にプロが作ったもののディテールの素晴らしさに気づくこともあります。多くの人がいいと感じるものだったり、素晴らしいと感じる創作物には、想像する何倍ものこだわりや意図が詰まっています。
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とはいえ、今後AIを使った創作活動というのは飛躍的に増えていくだろうと思います。ここ半年くらいでチラシやポスターはAI製のものが爆発に増えましたよね。スピードやコスパを求めるような分野では生成AIが圧倒的に強いです。
また最近よくいく弁当屋で、生成AIによるものだろうと思われる店のテーマソングが流れていました笑。今まで個人でできなかったようなことが簡単にできるようになるというのは革命的ですよね。
今後は、AIと人間の棲み分けが進んでいくのではないかと思います。例えば店内BGMやCMソングなどは、AIで作ることが当然になるかもしれません。Apple MusicやSpotifyなどのサブスクも、AI製の音楽と人間の音楽を分けた仕組みになるかもしれません。人間がやる音楽はライブや生演奏中心になっていくかもしれません。
いずれにしても、クリエイターは今後常にAIと比較され、どんな価値が提供できるのかを問われ続けるようになると思います。非常に厳しい時代ですが、こう言った時代だからこそ、新しい表現が生まれる可能性もありますよね。
改めて人間にできること、人間自体の価値などに思いを馳せることが大事になってきます。
自分も、自分にしかできない表現を磨いて、新しい価値を作っていけたらと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。


















